大分県の車好き社労士です。その4
自己紹介の続きです。
サーキット走行、特にドリフトに夢中になっていくのですが、サーキット走行会では本当に色々な方たちが参加されていました。私のような大学生も少数ながらいましたし、あとは会社員の方はもちろん経営者やお医者さんなども良く来られていました。また主婦の方も参加されたりと、本当に色々な方が参加されていましたね。
そういった色々な立場の方々と、同じ「車好き・サーキット走行好き」という共通の趣味で、缶コーヒーを片手に談笑するというのは、本当におもしろい時間でした。普段はきちっとされているであろう職業の方も、この時間ばかりは冗談を交えつつ大笑いされていたのです。
さてサーキット走行を毎月毎月かなりのペースで行っていましたが、サーキットデビューからおよそ2年、ついにここで愛車が音を上げてしまいます。サーキット走行の途中でラジエーターからの配管が破断し、冷却水漏れ。走行終了直前でのアクシデントだったため、キーをオフにしてもそのままエンジンが空焚きのようになってしまい再起不能に。クーラントがダダ洩れだったので、水をつぎ足しながらのアイドリングもできなかったのです。
こうして初めての愛車は役目を終えました。
ところがそこからの行動がまた早かったのです。落ち込む間もなく次の車を探し、色んな物を売却したりして頭金を作り、親にお金を借りて分割で親に返済する通称「親ローン」も駆使して約1か月後の走行会にはすでに復活していました。
この時購入した車はS14シルビア。その後およそ7年間、サーキットも走る過酷な使われ方をされながらも付き合ってくれる相棒となる車でした。
2代目を購入したころには、サーキットもそこそこ上手に走れるようになっており、サーキットでは初心者への講師のような事もお願いされるようになっていました。
そこからさらに2年ほど、毎月のようにサーキットを走り続ける生活を続け、大学も卒業の時期を迎えます。ここで大きな決断をすることになります。
プロドライバーになろう。
大学3年生の時から色々と考えていたわけではあります。周りは就職活動だ何だと慌ただしくなり、私も一旦は就活をしていた時期もあるのですが、ふと頭の中をあの言葉がよぎるのです。
フェラーリとドリフト。
ドリフトはそこそこできるようになった。でもフェラーリは?会社員をしていて買える?長い年月節約していたら買えるかもしれない?でもその時にドリフトができる?
良いのか、本当に?
そんな葛藤がしばらく続きました。そしてその結果が「プロドライバー」という選択でした。やらない後悔よりもやって納得して後悔しようと思いましたね。
そうなるとここからはまた行動が早い。早速レースチームのパンフレットを取り寄せオーディションに応募。そして初めて乗るフォーミュラカーでサーキットを走り、運命のいたずらかまさかの合格。大学卒業後はレーサーへの道を歩むために格闘する人生を送るようになるのです。
続く