スポーツカー好き・スーパーカー好きの社労士ブログ

若かりし頃、フォーミュラカードライバーのオーディションを受けて合格し、レーシングチームに所属した事もあるほどの車好きです。大分県の日出町で開業している社会保険労務士が、主に車について独断と偏見と経験に基づいて、それからたまに業務について綴っています。

大分県の車好き社労士です。その5

自己紹介の続きです。


プロドライバーになるべくレーシングチームのオーディションを受けて、まさかの合格を果たしここからは順風満帆のレーサー人生を歩むはずだったのですが、

だったのですが・・・。

結論から言えば、撤退を余儀なくする事となりました。資金が続かなかったのです。入門カテゴリーとは言え、車の競技は本当にお金がかかります。大学を出たばかりの人間が一人で継続してねん出できる額ではありませんでした。何とかレースを継続したいと思い色々な手を考え実行してみたのですが、八方ふさがりとなりあえなく撤退。

生活の拠点を移し、レース参戦へ再起をかけて活動をしていた時期にある知らせが届きます。母のがんが発覚。この知らせが、ここまでの人生を振り返るきっかけとなりました。両親が高齢となりつつあった事。また命に係わる可能性もある病気になっていた事。そして自分の将来・・・。この時私は26歳くらいだったと思います。

この辺で一区切りかな。

そう決断し、不安定な世界で生きていく事に区切りをつけて、会社員として堅実に働く事にしました。それで入社したのが医療機器を製造販売するメーカーでした。なぜ医療機器メーカーを選んだかといえば、やはり母のがんだったと思います。私は地方出身で大学から都会で生活をしていましたが、

「地方の病院ではなく都会の病院だったらもっともっと負担の少ない治療法があったのでは?」

という思いがあり、それなら地方でも医療の差を少しでも埋められるような仕事をしたいと思ったからでした。ところが入ってみたら、この会社がとっても激務でした。週休2日を謳いながら、連休なんて取れませんし取ろうとする姿勢を見せるだけで怠け者扱いするような風潮でした。また時間外労働も多く、月平均100時間前後だったように思います。毎日終電くらいに帰りの電車に乗り、夜中の2時くらいに夕飯を食べて気絶する様に眠るという毎日だったように思います。

そんな生活をしばらく続けていた時に、今度は父親の病気も発覚。ここで再び人生について考えます。両親とも高齢でいつ大きな病気をするかわからない。しかも私は一人っ子で両親とは離れて暮らしている。しかも現状は激務と強烈な職場の雰囲気の影響で体調も良くなく、また今後労働条件がよくなるような気配も感じられない。

色々な事が重なった結果、地元に帰るという事になりました。

地元に帰るとなったとき、サーキットで知り合った友人たちが久しぶりに集まり送別会を開いてくれました。中には遠く離れた東京から来ていただいた方もいたりして、懐かしくそして楽しい時間でした。何年も経っていて生活や立場が変わられている方も多かったですが、「サーキットをみんなで楽しく走っていたあの時代」に戻ったようなそんな時間でした。


続く





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